東京高等裁判所 昭和59年(う)382号 判決
1 所論は,被告人の暴行と石橋の死亡との間に最短で46時間,最長で53時間の時の経過があり,その間石橋が生存していたことからみると,石橋死亡の原因を被告人の暴行のみに求めることは危険であり,自殺の可能性もなしとしないというのであるが,他の死亡原因として所論の掲げる自殺については,その痕跡を証拠上認め得ないことにつき,所論自体も自認するところであり,一方,シゲ子の,石橋が死亡しているのを被告人方二階で発見したときの状況及びそれまでの石橋の行動に関する原審証言などに照らしさらに又,後記の鑑定人三澤章吾の鑑定書,及び同人に対する受命裁判官の尋問調書中の,「外傷性ショック死は,外傷により,生命に重要な役割を持っている各臓器の血液が減ってその臓器に障害を来たし,循環血液機能の低下が引金になって生起し,全身の症状を示してくるものであり,外傷性ショックは短い例もあるが,24時間とか48時間位に最も強く出て,死亡する場合は,その辺りに一番多い。この件でも日数からいって外傷性ショックではないとはいえない,ちょうど日数的にも当る。」との部分に徴しても,暴行を受けてから死亡するまでの時間は最長で44時間である本件において,自殺或いは被告人の暴行以外のその他の死亡に至る何らかの要因が介在したと認めることはできず,被告人の暴行行為以外に石橋を死に至らしめた原因を求めることはできないというべきであるから,被告人の前示暴行行為と石橋の死亡との因果関係を否定する所論は,到底採用することができない。
2 (所論によれば),要するに原判決は,石橋の死因を外傷性ショック死と認定判断しているが,右の認定の根拠とされている三澤章吾作成の鑑定書,並びに同人に対する尋問調書は不適格と認められる資料に基づいて推論したものであり,必ずしも断定的な鑑定結果とはいえないし,石橋を看病した白シゲ子もショック症状を目撃してはおらないのであり,一般に暴行に基づく傷害による死因として,主要臓器の挫滅その他の原因も考えられるから,原判決が本件死因を安易に外傷性ショック死であると認定したことは,審理不尽に基づく理由不備の違法があるといわざるをえない,というのである。
しかしながら,所論三澤章吾の鑑定の資料に供された所論供述調書が,鑑定資料として不適格といえないことは既に説示したとおりであり,また白シゲ子の捜査官に対する供述調書によると,石橋には死亡する前に皮膚蒼白呼吸困難,活力低下,排泄不全のショック症状が顕現していたことが,石橋の外形,態度からも認められるのである。ところで,本件は所論指摘のとおり,原判示のような理由,経緯からして死体なき傷害致死事件といわざるをえないものであり,死体が確保されていないため,死体の解剖検査による法医学上の精細なる鑑定を経ていない事件であることに留意を要し,事実認定は慎重であることを要するのはもとよりである。しかし,三澤鑑定人は,石橋の症状を目撃した白シゲ子ら3名の前掲供述調書に基づき鑑定し,「石橋正義は,殴打などの外力を受けるまでは,通常の生活をしており,特に身体に異常はなかったものと推定される。以前に胃潰瘍の手術を受けているらしいものの,受傷直前にその影響があったとは考え難い。石橋正義は,1月4日から5日にかけて,長時間にわたり全身に繰り返し外力を受け,その結果ほぼ上半身は青黒く変色し,腹部及び頭部に疼痛を来たし,しだいに活力が低下し,呼吸が苦しくなって死亡した。これらの経過から判断すると,外傷に起因して死亡が惹起されたことは明らかであろう。本例の死亡を引き起こした要因を外傷以外に求めることは,資料から見る限りありそうにない。すなわち石橋正義は外傷に起因して死亡したと推定される。」としたうえ,石橋正義の身体に,「広範な皮下および筋肉内出血による失血と筋肉の挫砕,脳浮腫と,おそらくは肺浮腫,肝や腸間膜血管の損傷による失血,胃腸管の損傷による出血と浮腫など,あるいはこれらの病変のうちいくつかが起こったと考えられ,仮にそのようであれば,石橋正義の死因は外傷性ショックとして理解できよう。」と判断し,「前記の資料からは,石橋正義の死因としては,外傷性ショックが最も疑われる。外傷性ショック以外に考え難い。」というのである。そうして関係証拠によれば,被告人が石橋に加えた暴行の内容,態様及び石橋の受傷の状況更に石橋が死亡するに至る経緯が,右の三澤鑑定人の判断するところに相応符合するものであることが認められ,これらと右各証拠とによって認められるところをも併せ考慮すれば,石橋の死因は,外傷性ショック死と十分に認定判断することができるのであって,審理を尽した結果,これと同趣旨に出た原判決の認定は相当ということができる。